言葉が増えたから差別が増えたというお話
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こんにちは、imoです。

ダイバーシティ、LGBTQ等々、多様性、寛容さを訴える方々が多い今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか?

個人的には最近なんかポイズンなんです。

もとい、息苦しさが増して来ていると感じているんですが、空はこんなに青いので多分気のせいでしょう。

 

差別差別叫ぶ人の差別感は異常

個人的によく思うことなんですが、直ぐに「差別だ!」と叫ぶ人ほどその当人の差別意識が強いと感じるのは気のせいでしょうか?

空はこんなに青いのに、この四方八方へ発射される差別意識は粘っこく梅雨の空気感をまとって私に迫って来ます。

 

偉い人は言いました。

「他人は自己を写す鏡である」と

まさに、差別がよく見える人ほど差別的に世の中を見ていると思うのです。

皮肉ですね。差別を感じる人ほど差別的。

多分、本人は自分の差別意識に気付いていないでしょう。というか、気付いてはいけない。

自分の正義を疑ってはジハード(聖戦)は戦えないのですから。

 

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言葉が増えて差分が見えるようになった

さて、本題。

冒頭の通り、最近差別に関する新しい言葉が増えているように感じます。

ちょっと前までLGBTだったと思ったら最近Qも加わったようですし・・これで5人揃いましたね。戦隊ものなのかな?

 

他にも発達障害に関する言葉も世の中に増えている印象です。

先日聞いた話ではこれはアメリカも同じような状況で、あちらではそういう子供を「gifted」と呼び、別扱いにしているとのことでした。

「 gifted」は普通とは違うので「彼らのために」特別扱いをしてあげるというもの。

ポジティブな言葉でデコレーションされていますが、やっていることは差別と似ていますね。

更に、恩着せがましく「彼らのため」と甘ったるい砂糖も振りかけられ、多くの人はそれに疑問も持たないことでしょう。

新たな言葉を作り、マジョリティとの差分に対して特別な扱いをしてあげる。

多分、そこにあるのは善意です。

The road to hell is paved with good intentions

(地獄への道は善意で敷き詰められている)

ということですね。

 

よく言われますが、昔は診断されていなかっただけで最近はそれに病名が付いたという感じ。

我々人類は神と同様に日々新しい言葉を作って世界を作り続けているのです。

(「言葉と世界」については、以下の記事で昔書いています。)

 

 

上の過去記事で書いてある通り、言葉によって世界は規程されています。

私たち人間の認識レベルで言えば、言葉があるからこそ差分に気づけるようになるのです。

差別差別と喚く人は、世の中の差分がよく見える人と言い換えても良いかもしれません。

これは度が過ぎると、別にこれまで差別されていると感じていなかった人に対しても「あなたは差別されているんですよ!」と善意で伝えることで、その人の中に「差別されている自分」という世界が作られます。

そして、差別されていると感じる人ほど世の中の些細な差分を見つけては、それを表現する言葉を作るでしょう。こうして、また”差別されている人”が生まれる。

 

「差別」に関しては非常にセンシティブで主観にもよるのであまりこの記事では突っ込みません。(筆者はもちろん差別はいけないことだと思っています)

ただ、この記事で言いたいことは自分なりの正義の名の下に「言葉」を安易に生み出して差分を余計に感じる人が増えているし、逆に過剰な「言葉狩り」も行われており、自分たちで言葉を生み出してそれをまた狩る、みたいなマッチポンプ状況も散見されるということを指摘したいのです。

この状況が進んでいくと、多くの人にとって生きづらい世界となるでしょう。

そうです。ポイズンの世界が目の前に広がってくるのです。反町隆史大先生は偉大でした。

"POISON~言いたい事も言えないこんな世の中は~/If you love me,don’t for

 

まとめ

安易に言葉を作り出すことは危険です。

人間の認知機能は、基本的に差分に反応することが分かっています。(むしろ差分以外は気づかない)

お金を100億持っている人が1億まで減ってしまうと自殺したりするのが人間という生き物。

1億という絶対額ではなく、100億→1億という差分に反応してしまう。ギャップ萌えってやつです。

 

”いつもと違うこと"に敏感な方が進化論的に優位で、差分に反応することが生存に適していたのでしょう。

人種差別に関しても、古来よりよそ者は危険因子だった名残かもしれません。

「よそ者に敏感=差分に敏感」な個体ほど生存しやすかった。

ですから、人間の差別意識を完全になくすことは不可能だと私は思っています。

 

現在の状況は、この差分を意識してしまう人類の特徴が暴走気味な感じ。

それがネットを通して世界中の差分を探して勝手にそれぞれ名前をつけて、善意でコーティングし、ディストピアを作り上げる。

 

ということで皆様、言葉は慎重に扱いましょう。

そして、自分の中の差別意識に罪悪感を過剰に持つこともやめましょう。

ありのまま受け止めれば良いと思います。

細かい差分を無視した大きな括りでは皆「人間」でしかないのですから。

 

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