
こんばんは、imoekatです。
今日は「言葉」について
凄く抽象的な話ですので「えー面倒」と思う人はページを閉じて・・・・もらいたくないです!
この記事の内容は、私がブログで書いている時の姿勢だったり人に伝える時のスタンスでもありますし、絶対に為になる視点ですので是非最後まで読んで下さい
では、行きます
Contents
始めに言葉ありき
突然ですが、言葉の役割について考えたことってありますか?
こう聞かれて恐らく多いのは「言葉=伝達手段」という回答でしょう。
しかし、それだけでしょうか?
言葉でいくら説明しても伝わらない・・・なんで分かってくれないんだ!理解出来ないやつがバカなんだ!と思ったことがある人も多いと思います。
つまり、「言葉」は伝達手段としては少し物足りないんです。
大衆の反逆 (ちくま学芸文庫)
で有名なオルテガも
「隣人に到達するための努力の中で言葉のなしうることは、我々の心の中に起こるもろもろのことの幾つかを、ときとして、比較的正確に表現できるということであり、それ以上ではない」
「言葉とは、我々の考えていることの一部を表現するだけであり、しかもそうすることによって、他人との意思疎通に越えがたい障害を置くのである。言葉は数学の定理や証明にはかなり役に立つ。しかし、物理学について語る時には、もはやあいまいで不十分なものとなる。そして、話題が数学や物理学よりも、より重要で、より人間的で、より〔真実〕なる事柄となるにつれて、言葉の不正確さ愚鈍さ雑駁性は増大していく。話さえすれば理解し合えるものだという根強い偏見に陥りやすい我々は、言葉に全幅の信頼を置いて話したり聞いたりするものだから、しばしば無言でお互いを推察理解しようと努めた場合よりも、甚だしく誤解してしまうことになる。」
と言っています。もう完全に同意です
では、言葉とは何か?
言葉は世界を創る
私達は、言葉が有るから「認識でき」。言葉が有るから「理解できます」
聖書でも「始めに言葉ありき」とありますが、これは、言葉(神)が無ければ世界を理解出来ないと解釈されるのです(諸説あります。)
「雨」の話
日本人は、とても季節を感じる感性が豊かな民族で「雨」の表現も沢山あります。
「霧雨」「小糠雨」「五月雨」「時雨」「驟雨」「通り雨」「春雨」「夕立」・・・めちゃくちゃありますね 笑
日本人がこれらの言葉を聞けば、ある程度どんな「雨」なのかイメージできますよね?
しかし、外国人で母語にこれらの表現する「雨」がない国の人は一生理解できません。「雨」はただ「雨」なのです。
我々日本人は「霧雨」と聞けば「霧のように細かくてしっとり濡らす程度の雨」とイメージできます。つまり、単なる「雨」と区別され「新しい雨」が創られ(切り取られ)るということ。
「虹」の話
虹って国によって見える色の数が違うのは知っていますか?
日本では7色となっています。しかし、世界には6色、5色、3色、極端には2色という国もあるみたい。
正直に言って正確に7色見えるわけではないですが、「何となく数えれば7色かなー」くらいには見えます。
でも、2色には絶対見えません。
「言葉」で世界は切り取られて認識される例ですが、自分の知っている「色の数」「虹」の認識によって見える世界が違ってきます
「肩こり」の話
「肩こり」という言葉が無い国が有ります。そこの国の人は「肩こり」の概念が無いので、勿論肩こりではありませんでした。
しかし、日本に来て「肩こり」という言葉を知ります。その結果、その人は肩こりになってしまったのです。
これも「言葉」により「世界」が切り取られ意識に上ることによって認識される例です。
以上のように「言葉」は新しい世界を拓きます。
ということは、貧相な「言葉」しか持たない人はその世界も貧相であり、豊かな「言葉」を持つ人は豊かな世界を持っているんです。
外国語を学ぶということ
外国語を学ぶということは、新しい言葉(世界)を手に入れるということになります。
面白いことに、同じ人でも英語を話している時はリアクションが大きく身振り手振りが多くなり、日本語を話すと日本人ぽいリアクション、雰囲気になる。このように「言葉」は雰囲気や振る舞いにすら影響を与えているんです。
これでも、「言葉」は単なる伝達手段でしょうか?
ITやネットが発達した現代では、「言葉」を単なる伝達手段としか捉えない場合、わざわざ外国語を学ぶ理由はありません。(瞬発力の問題はありますが)
翻訳なんてすぐ出来ますし、その精度も日々上がり続けています。複雑な概念や瞬発力の必要な論理のぶつかり合いを演じる場合以外は事足りますよ
恐らく、近い将来伝達するだけであればわざわざ外国語を学ぶ必要なんてないという価値観が大勢を占めてくるはず
では、近い将来外国語を学ぶ必要なんてないのか?というと、それは違います。
新しい世界を、概念を、価値観を自分のモノとする為、外国語を学ぶ必要は依然としてあり、その分だけその人の世界は広がり、豊かになるでしょう
言葉を扱う時
上記の通り、「言葉」は世界を創ります。
そして、ここで怖いのは、自分だけじゃなく他人にも「世界」を伝えることです。
例えば、誰かに「死ね」と言ったとしますね。その「死ね」は自分の中に「その人に対して死ねと自分は思っている」という世界を創ります。そして、言った相手に「あいつは自分を死ねと思っている」という世界を知ります。これは一度伝わると消えません。一度創られた世界は消えないんです。
だから、安易に「言葉」を使うべきではない。むやみに「世界」を創ってはいけないんですよ
そして、「言葉」はなかなか相手に伝わりません。(伝達としての意味で)
私の感覚では、10言いたいことの2くらい?伝われば御の字
それくらい伝わりません。
大事なことなので二回言いました
このブログでも同じことを何度も記事にしています。勿論、全力で伝えようとはしていますが、「それでも全然伝わらないんだろうなー」という意識で書いてます。
「言葉」とはそんなモノで、伝達力は弱い。
正に「大事なことなので二回言いました」って世界なんです。
実際は、三度、四度、五度、言わなければ全然伝わらない。
そして、厄介なことに「世界」は結構簡単に創れちゃう。このバランスです。
「言葉」は慎重に扱わなければいけないんですが、何度も言わなきゃ伝わらない
この意識で生きていくと、余計なトラブルも減るし伝わらなくてイライラすることも減るでしょう。
人間関係も円滑になると思います。(自戒の意味も込めて)
言葉を聞くときの注意
そんな感じで、このブログでは大事なことは二度三度四度書きます。
一応、毎回視点を変えて伝わるようにアレンジして伝えるつもり。
ですので、「このネタ前に読んだわー」と思っても「全部理解できたのか?」と自分に問いかけて読んで下さい。伝わらないってことは、受けて側になった場合も全然理解しきれていないということなので
これ大事。
自分が相手の言葉を聞くときも全然分かってないことがほとんどだと思って下さい。特にこれまでの人生経験、バックグラウンドが違う人の「言葉」は同じ言葉でも全然違う意味合いで使われたりします。
これを意識すれば、「相手がバカだ!」とか「理解力ないなー」とか「あいつは何も分かってない」と思う前にふと考えるはず
「実は自分もその相手と同じではないか?」と
そして、「自分の伝え方が悪かったのではないか?」と
以上、「言葉」についてのお話でした。
凄い大事だと思うんですよね
それでは、また