
「努力」ってなんか大変なイメージありませんか?
「苦労して、頑張って、石に齧りついてでもやる!」みたいな
私は怠け者なので、そんな「努力」が嫌いです。
黙々と真面目に頑張る人は凄いなーと思っちゃいます。
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努力は真面目じゃなくてもできる
冒頭のイメージの「努力」だと凄く真面目な人じゃなきゃできそうにないと思いませんか?
私は、子供の頃から人に意味もなく「真面目に頑張れ」と言われることが嫌でした。
今思えば生意気なガキですが、「興味もないことを無理やり頑張りたくなんかない」と思っていたんですよね。
一方で、スポーツは好きだったので、「頑張れ!」と人に言われなくても夢中で練習したことを思い出します。
客観的には、長時間ヘトヘトになりながらスポーツの練習をすることは努力していると言えます。
しかし、私の主観では「頑張って努力している」という感覚ではない。
このギャップのことを以前から考えていました。
人は、自分の”興味があること”には勝手に努力するんです。
そこをもうちょっと詳しく考えていくと、
「興味がある」→「楽しい」→「もっと上手くなろう」→「自分で工夫する」→「上達しもっと楽しくなる」以下ループ
ざっくりですが、こんな流れがあるように思います。
この流れの中で、主体的に動けるとしたらどこでしょう?
多分、「工夫する」とこです。
ここだけが人それぞれ違いが出るところです。
「興味」も「楽しい」も感情の話ですので、基本的には万国共通。その程度問題はあるでしょうが人によって大きく変わることがない部分です
どう工夫するか?が努力になる
人間、楽しくなきゃ動きません。
じゃあ、楽しくしたらいい。it`s simple!
さっきの雑なチャートで、まず始めに「興味」がありました。
基本的には、「興味」から始まると人は自然と工夫し努力できるのですが、長い人生「大した興味もないこと」をやらなきゃいけないこともあります。
そんな時どうするか?
「工夫」して「楽しく」するのが手っ取り早いです。
では、どうすれば「楽しく」なるでしょう?
私の理解ですが、概ね人は”上達”すれば楽しくなります。
つまり、上達を実感する結果を得られるよう「工夫」するのです。
例えば、
「事務仕事」を例にしましょうか
私は単調な事務作業が嫌いです。本音で言えば一切やりたくない。
そんな私が最初の就職で事務職として採用されました。
その時私は就職当時どうしたのか?
当時、私の担当していた事務仕事は電卓をめちゃくちゃ使います。そこで、電卓をとにかく早く打つタイムトライアルゲームを自分の中で開催しました。
いつもやっていた電卓打ちを一度仕事でやった後、もう一度自分一人で限界を超えるスピードで打ち直してみたのです。答えはもうわかっているので結果が違えばすぐわかります。ゲーム感覚でどれだけ早く打てるか?に挑戦した結果、早く打っても間違えないスピードが上がりました。
で、実際の仕事時に電卓打ちが早く終わると先輩は評価してくれます。私としてはツマラナイ事務作業に少しゲーム性を取り入れて無理やり楽しんだ結果なので、あんまり努力した感覚はなかったことを覚えています。
あと、自分のやっている事務仕事が会社全体のどこを担当しているか?がいまいち良く分からず、こんな細かくやってる意味あるのかな?とか思っていましたので、それを把握することにしました。
とは言っても、新人が会社の業務の全体像を知るのは容易ではありません。新人の私たちはとりあえずどれくらいのことが出来るのか?を試されている部品なのですから。
ということで、手近なとこから現場の人に話を聞き、どこが困ってるか?その結果が自分の事務仕事のどこに反映されているか?を確認しました。
正直、外部業者も絡む問題も多々あり新人の私に出来ることは少なかったですが、自分の仕事の立ち位置や重点を置くポイントがなんとなく分かった気がしました。
それを踏まえてただただ平坦で苦痛だった事務仕事をちょっと頑張ってやるとこと、ある程度手を抜いてもいいんじゃね?ってとこを分けて結果が出る部分に気持ちを持って行きました。
入社半年で事務仕事は嫌ーって気持ちがモリモリだった私が何とかやり続けられたのは、こんな自分なりの工夫があったからでしょう。(結局2年ほどで辞めますがね 笑)
楽しく結果を出す
上記の通り、「楽しい」から「結果が出る」とも言えますし、「結果が出る」から「楽しい」とも言えます。
どちらにせよ、その根底には「工夫」が隠れていますよね
ただ闇雲に頑張る「努力」はツマラナイですし苦痛です。
「頑張った努力が報われた」は素晴らしいですし達成感はあると思いますが、どうせなら「工夫して楽しんでいたら結果が出た」の方が良いと個人的には思います。
「努力は必ずしも報われないが、成功した者は皆努力している」と、どこかの偉い人が言っていました。
これは多分芯を食った言葉です。
そして、「努力」を苦痛やただ頑張るモノと捉えると、それが報われなかった時に「恨み」の感情が出てくる
「こんなに頑張ったのに!」と
更に「努力」の度合いも人それぞれ。
「A君が頑張ったと思った努力量もB君にとっては全然大したことがない」ということが往々にして起こります。(そりゃB君の方が結果出るよね)
まとめ
では、まとめ。
自分を悲劇の主人公にするような「努力」は止めて、楽しく工夫することに意識を向けましょう。
私の例のように、大枠ではやりたくないことも細分化すれば何かしら楽しみは見つけられるはず。
ただの反復はロボットでもできます。私たちはロボットではないので自分の頭を使って「工夫」することを実践しましょう。
それが、来るべきAI(人工知能)時代でも戦える武器になると思います。
P・S
こちらの本には、「努力」について私と同じような考え方が書かれていて個人的には共感部分多数!
「努力」しても報われないなーと思っている人は是非一読をお勧めします