
昨日から新たに本を読んでおります。
「貨幣」について網羅的に書かれていて面白い視点を提供してくれる内容なのですが、読んでいる途中であるエピソードを思い出しましたので一旦記事にしたいと思います。
Contents
貨幣は贈与が起源かもしれない
いきなり本題に入ると「わけわからん」となりそうなので少し説明します。
まずは基本から。
貨幣の大きな機能は「交換」です。
始まりは、物々交換から
しかし、物と物の交換ではお互いのニーズが合わなければ取引は成立しません。
例えば、一方が肉を持っていた場合、肉が欲しい人としか交換が成立しないということになります。
考えてみれば当たり前。
そこで、交換にあたっての利便性が考えられました。
その結果生まれたのが「貨幣」である。と
もうちょっと詳しく言うと「価値の測定」と「価値の保存」そして「交換における媒介」になる存在が「貨幣」です。
これが一般的な「貨幣」の発生ストーリー
贈与と信用取引
この貨幣発生ストーリーを少し別の視点から説明してみます。
それは、「そもそも人間の交換活動において「贈与」が始まりだったんじゃないか?」という視点です。
例えば、親しい間柄での贈り物やお土産、手助けみたいなものを思い出してください。
そこに貨幣は介在しないですよね?
そこに介在するのは、「気持ち」と「返礼の義務感」です
大昔も多分これは同じでしょう。必要なモノを親しい間柄で共有し補い合う関係。
この親しい間柄における贈与に対して、金銭の支払いを申し出たらそれは無粋でしょう
そこには「信用」が基本にあります。
また、信頼関係が築かれている間柄では「今回はこちらの負担、次回はあちらの負担」みたいな「信用貸し」も普通にあるでしょう。
単純な物々交換ではなく、その時々で必要なモノを信用で融通し合うのです。
経済活動の初期はこの親しい間のやり取りが基本にあったという説がこの視点の肝
「貨幣」は、その信用が成り立たない間柄における支払い、または贈与を受けて義務を果たさない者への債務支払いにおいて登場します。
信用と能力の提供
私の知り合いで「この人はお金がなくても生きていける」と思った人がいます。(仮にAさんとします)
Aさんは、ほぼ信用と自分の能力の提供のみで日本を旅していました。
具体例を挙げます。
①Aさんは、写真が趣味です。
その写真を人に教えてあげたり、後日、一緒に撮った綺麗な写真をアルバムにして提供します。
②Aさんは、食べるのが好きです。
地元に友人が来た時は、美味しいお店へ連れて行ったり、漁港や市場での買い出し、趣味で作ったお菓子などをお土産に提供します。
③Aさんは、行動力が半端じゃないです。
何か誘われると何百キロ離れていても遊びに行きます。大人の「そのうち機会があれば」という曖昧な返答はしません。
他にも色々あるのですが、Aさんはナチュラルにこういうことが出来てその行動には恩着せがましさがありません。
日本の至る所に友人がいて、何となく居候したりしてます。(家主が仕事に行っても留守番してたり)
このAさんを見ていて、私は「こんな人がいるんだなー」と驚きました。Aさんには貨幣が基本的に必要ないのです。(最低限は必要ですよ。ただ、色々な活動においてお金を必要としないことが多い)
大体のことは「信用」と「自分の能力の提供」で上手く回っていて充実しているように見えます。
今回の人間の経済活動の根本は「贈与」と「信用取引」であるという説は、このAさんを思い起こせばとてもしっくりきます。
つまり、個人の「信用」や「能力」は通貨になり得るのです
考えてみれば、世のビジネスはこれを「貨幣」を介してやっているだけですね。
(面識のない大多数の悩みや必要性を解決する「能力」の提供を貨幣を通してやっている)
それが個人間では直接やり取りできる。
「貨幣」を大きな視点で捉えると、「円」や「ドル」である必要性はないかもしれません。
お金以外の交換比率を上げる
「お金だけあれば良い。」
「お金さえあれば何でも買える。」
それは事実ですが、お金以外に交換可能なものを増やすことも必要かもしれません。
そして、その筆頭はAさんを参考にすれば「信用」でしょう。
逆に「信用」がなければ金銭的にも不利になることもありますし・・
なかなか実践するのは難しいですが、Aさんのように自分の「信用」と「能力」での交換比率を上げることが人生にとって結構大事なのかな?と思ってます。
今読んでいる[貨幣の「新」世界史]では、沢山の視点から貨幣について考察しています。
これまで知らなかった「貨幣」に関するエピソードや、生物学、歴史、進化学等、色々な分野からの考察は私の視野を広げてくれるようです。
気が向けば改めて感想を記事にしようかな
以上、今日はここまで!