私達が正しい場所に花は咲かない(自分の狂信主義に気付く)

本日は、本の紹介。

 

 

「わたしたちが正しい場所に花は咲かない」

絶妙なタイトルだと思います。

「自分が正しい!」「自分が正義だ!」「お前は間違っている!」(あれ?どこかの国が思い浮かびますね 笑)

そんな想いで人と接するのは無意味だ。何も生産的な活動にはならない。そんなところに花は咲かない。

この本の主張はとても大事なことを教えてくれます。

私達も日々「自分が正しい」と思っていますよね?少なくとも私は思ってしまいます・・・

 

 

議論の不毛さ

個人的にはあまり「議論」をしないようにしています。

何故なら、自分が議論するレベルにまだないと思っているから

前提として「わたしたちが正しい場所に花は咲かない」ので自分の主張はしますが、それに固執しなようにというのが難しい。

議論する場合、自分の考えを主張をすることと同時に相手の考えを公平に理解することが必要だと思います。

これが出来ている人を私はほとんど見たことが無いですね

ほぼ全員「自分が正しい」と叫んでいるだけで、人の話は聞いていないパターン。

「こいつは何を言っているんだ?」「そんなことも分からないのか?」「知識が足りないなー」「俺の言うことを正しく理解しろ」「バカばっかりだ」

心の中でこう思っている人が多すぎると思います。

お互いそんなことを思いながら「議論」することになんの意味があるのだろう?と個人的には思うのです。

結局、それぞれが「自分は正しい!」ということを言い合って終わり。勿論、大人なので喧嘩になったり言い合いになることは少ないと思いますが、どこかズレた話の流れになり何となくお互いの理解が取れた気になって「あーよかった自分の主張が理解された」という勘違いをお互い持つのでしょう。

そこから新しい何かは生まれません。

 

止揚という概念

「止揚」って言葉を知っていますか?

ドイツ語の aufheben には、廃棄する・否定するという意味と保存する・高めるという二様の意味があり、ヘーゲルはこの言葉を用いて弁証法的発展を説明した。つまり、古いものが否定されて新しいものが現れる際、古いものが全面的に捨て去られるのでなく、古いものが持っている内容のうち積極的な要素が新しく高い段階として保持される。

このように、弁証法では、否定を発展の契機としてとらえており、のちに弁証法的唯物論が登場すると、「否定の否定の法則」あるいは「らせん的発展」として自然や社会・思考の発展の過程で広く作用していると唱えられるようになった。

国語辞典などでは、違った考え方を持ち寄って議論を行い、そこからそれまでの考え方とは異なる新しい考え方を統合させてゆくこと、という説明がなされることがある

 

「相矛盾する考えをぶつけ合ってそこからそれまでとは違う、しかしお互いを踏まえた新しい考えに統合していく」

簡単に言うとこういうことだと思います。

議論の一番の理想形はこのかたちなのかなーと。ここには花が咲くのです。

 

本当の意味で人の話を聞けてない。

私はこう自分で感じるので、積極的に議論をする気になれない

それよりもまずは、「他人が何を考えているか?」「どういう背景でそういう主張なのか?」「何故そう考えるか?」「その考えの妥当性はどうか?」

をよく考えてみることで、「自分の正義」を疑ってみる。

自分の主張前提で人の話を聞くとどうしてもフィルターがかかります。(自説への反論に聞こえるから自動的に身構える)

そうならないように、自分の主張はせずにまず「聴く」ことに集中します。

自分が「止揚」に至れるレベルだなと感じれば議論しても「花は咲く」ので、その時は積極的になるでしょう

 

投資議論

投資においても、色々な人が色々なことを言います。

テクニカルとファンダでは勿論。同じファンダの人の間でも視点によって違うことを言います。

知識が多い人の中には、「はい論破!」的なことに快感を感じている人もいそうな勢いです

それでも、そこに花は咲かない。

いくら論理的で理屈では正しいとしても、その論破された人は自分のやりかたでこれまで成功してきているのでただ「ウぜー」と思っています。

ツイッターなどで他人の投資法についてや銘柄についての議論とかたまに見ますが、噛み合っていることがなくほぼどちらも「相手がバカだ」と思っていますね 笑(ツイッターみたいな文字媒体では特に議論は難しいですし)

お互い、その時間に意味はあるのでしょうか?

 

投資において私のおススメは、無料でいくなら他人のブログやツイッターなどを「ただ読む」ことです。

今の時代、有り難いことにわざわざ議論なんて不毛なことをしなくても、ただで自分の投資法、知識、主張を書いてくれています。

それを沢山見ること。色んな考え方、投資スタイル、投資基準があることを自分に取り込むことをまずはすると良いかと思います

後々、議論したくなっても沢山の視点を自分の中に持っていれば、「花咲く」議論になりやすい

(まーそんなことを言いながら、私はあまり他人のブログとか読んでない・・ 笑)

 

お金は多少かかりますが、もっとおススメは「本」ですね。

本はブログとかより書き方が洗練されていたり、しっかりまとまってもいますのでより時間投資効果が高いと思ってます。

ファンダメンタル投資法、テクニカル投資法、分散投資、集中投資、日本、アメリカ、エマージング市場、投資哲学、FX、為替、等々

沢山の投資に関する本が出ています。それぞれでノウハウの有効性や分析法、その投資法の有利な点を書いてますが、分野を跨ぐとその主張同士が相矛盾することもある。

視点が違うので当然ですね。

視点が違うだけでそれぞれが正しいとしても、人との議論だとこの相矛盾する部分が自分への反論と聞こえ、感情が入るのでフラットに受け入れられないことが多いです。

だから、まずは「自分の中に取れいれる」ことに集中するのが良いと思います。

 

 

 

以上、「わたしたちが正しい場所に花は咲かない」でした。

この本の作者はイスラエルの人で、ガチ紛争の真っ只中でこういう主張をしているので説得力があります。

正義を主張しあう者に平和は来ない。相手のことを認めない「狂気」。自分の正義に固執する狂信主義は必ず自分の中にも隠れています。

それに気付ければもう少し世界は平和になる気がしますね

 

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4 件のコメント

  • imoekatさん、こんばんはー!

    今日の記事、とても勉強になりましたφ(..) (いつもの記事もですが)
    とても身にしみました。

    「わたしたちが正しい場所に花は咲かない」。良い言葉ですね。
    自分が正しいと思ってたり、すぐに理解できてしまう(or腑に落ちる)ことには新しい価値はないですもんね。
    最初は理解できないことにこそ価値があって、でもそれは相当レベル高い人でないと議論から見出せるものではない…と。

    わたしもこれから当分はこの言葉とこの記事を肝に銘じたいです。
    素晴らしい記事、ありがとうございました(‘ω’)ノ

    • ちゃーるさん、こんばんは

      為になったということで私も嬉しいです。

      我々は本当に注意していないとすぐに自分しか見えなくなり他人を見られなくなりますよね。
      知識だけではなく、人としてのレベルを上げないと中々人生は生きづらいし争いはなくならないと本を読んで思いました。
      ただ、主張することは大事です。自分の考えを発信しないと周りもわかりませんしね。
      その時に相手のことを考える想像力を持てるか?が大事だと本では言っていました。

      是非、読んでみて下さい

      ちなみに「止揚」の部分は私が本の内容を噛み砕いてより良い結論はないか?と考えた部分です。ご紹介した本にはこのようには書いてなかったと思います。(あくまで妥協の産物でそこから始めると言っていたと記憶してます。まあ、パレスチナ問題に関してはそれしかないのでしょうが)

  • imoekatさん、おはようございます。

    ここ一年、我執については良く考えます。
    子供が出来て、ただそこにあり自分なりに真面目に生きていく事が大事であって、他人がどうであるかは関係ないというように考えるようになりました。

    そんな風に考えていたら、他人という存在をある種の諦めを持ちながらも受け入れられるようになりました。
    多分、自分の中に芯がある事でこんな意見も世の中にあるんだなー位で変に硬くならず受け止められるんだなと思いました。

    ただ議論はまだ難しいですねー。なのでTwitterもブログもやりません。
    Webサイトは仕事がだけで充分ですf^_^;

    ありのままの自分を受け入れる事がスタートなのかなと思いました。
    流行った歌みたいですね笑
    もし、趣旨からずれていたらごめんなさい。

    • vetaさん、こんばんは

      vetaさんの理解で正しいと思います。
      狂信主義者は他人を変えようとすると。しかも、貴方のためを想って(新興宗教の勧誘の常套句ですよね 笑)
      他人を変えようとする=自分が無い。
      確固たる自分を持てれば他人を無理に変えようとは思わない。
      自分があれば、他人も同じように自分を持っていると想像が出来るので、「自分のみが正しいのだ!」という狂信主義には陥らない
      とういう論理でした。

      著者のオズは、「想像力を働かせることが狂信主義に陥らない処方箋だ」と言ってました。
      それには、自分がなければいけないと思います。
      子育ては沢山思い通りにならないこともあり、色々勉強になりそうですね

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