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諦めから始めよう(人事を尽くして天命を待つ)
うーん、ネガティブなタイトルですね。笑
ただ、これが事実なのでしょうがない。「良い意味での諦め」は、生きる態度として私はとても大事だと思っています。
例えば、「こんな時が一生続いて欲しい!」「株価もずっと右肩上がりでお願いします」「常に絶好調!」「すべて上手くいきたい!」
これらの思いは私にもありますし、もしこれらが実現出来るのであれば最高だと思います。
しかし、現実は残酷で上記のことは全て終わりを迎える。諸行無常
更に、人間関係でも、結局人は変わらないし、私たちの言いたいことは伝わりません。
いやー身も蓋もないですが、これが事実です。
期待して行動し、後は忘れる(観察する)
前提として冒頭の「諦め」から始めるんですが、行動は期待の元やります。
子供に関しても、「このような人間に育てるぞ!」という期待は良いですが、多分その通りにはなりません。
今、私たちがやっていることも実を結ばないかもしれないし、意味がないかもしれない。しかし、出来ることは最大限やるのです。
村田選手のミドル級タイトルマッチ
「人事を尽くして天命を待つ」
私達が関われる範囲は決まっていて、その範囲内でも更に限界がある。結果にはほとんど関われないと思った方が良いです。だから結果は諦める。
奇しくも先日、ロンドンオリンピックで金メダルを取った村田諒太選手がミドル級のタイトルマッチに臨みました。村田選手は、普段のコメントからも分かる通り客観的で分析力に優れた自分を知っている非常に頭の良い選手だと思います。村田選手は、自分はそこまでスピードは無く、テクニックに秀でたタイプでもないことを自覚していました。周りの喧騒をよそにプロ転向後も自分のスタイルの試行錯誤はずっとしていたはず。
そして、先日のタイトルマッチ。村田選手は自らの身体の強さとパワーを活かしたブロックを基本にジワジワプレッシャーをかけ、相手に隙の出来た時に自信のある右ストレートを打ち込むという完全に自分の強みを生かせるスタイルに徹し12Rまで完璧に戦いきりました。
事実、私は村田選手の圧勝だったと思いますし、世間の玄人から素人も含めた評価は私と同じでした。村田選手自身勝ったと思ったでしょう。それほど村田選手が今出来ること遂行しきった会心の試合でした。
しかし、結果は敗戦。(個人的には非常に不満!こんな判定出してたらボクシング自体の信用に関わりますよ。)
個人的に、非常に感心したのは、試合後の村田選手の対応でした。全く言い訳もせず、相手を称える。支えてくれた周囲への気配りも忘れない・・・なかなかこれは出来ませんよ。ホント
悔しさがないはずはないのに・・・私は、一夜明けて気づきました。「あー村田選手は人事を尽くしたんだな。結果は自分の預かり知るところではないと本気で思っているんだな」と
諦めの効能
自分の力の及ばないところにいつまでも拘っていても仕方ないですよね?それこそ労力の無駄です。
下手したら拘ることで人生を棒にふるかも。そんな人は沢山います。自分にはどうしようもない家庭環境、経済力、身体能力、人間関係、等々それらに囚われ身を滅ぼす人達。
「良い意味での諦め」は、人を前に進める力をくれます。
良い諦めと悪い諦め
今更ですが、普通「諦め」というとネガティブです。
「どーせ、」という枕詞が付いたりし、その時点で努力ややる気は終了。
これが悪い諦め。
私がこの記事でテーマとしているのは、「良い諦め」でした。
ここまで書いてきたように、最大限努力し期待した上で、結果は諦める。
逆を言えば、結果が出るまでは期待して行動するのです。
そして、結果が出た後はそれに囚われないから次に進める「諦め」です。
結果からは、観察して教訓しか得られません。「そうかそうかそうなるか、じゃあ次はこうしようかな」と。
株式投資でも、株を買うまでは期待し沢山の労力をかけます。そして、買った後の結果は通常すぐに出ない。私の場合、それなりに買う前に労力をかけて考えます。そして、その結果にも勿論期待していますが、悪い結果になった場合「じゃあ、次はどうすれば良いかな?」と切り替えられるのです。
結局、自分は完璧ではないし、常に考え方も変わっている。
投資においては企業自体も株価も自分が関われる範囲を超えている。これだけ不確定要素を抱えながら、なぜ間違いないと言えるのか?
だから私たちに出来ることは、最大限の努力と観察することです。変な狂信や思い込みに陥らなければ、そのうち報われるとは思っていますので。
以上、「諦めから始めよう」人事を尽くして天命を待つでした。