運命論か自由意志か(特攻の島を読んで)
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こんばんは、imoekatです。

本日は、運命論と自由意志についてマンガから学びました。

多分皆一度は考えたことがあること。

 

Contents

運命論か自由意志か

一般的な言葉で言えば

「人生は運命で決まっているのか?」それとも「自分で創り上げるものなのか?」

というお話し。

今日これを書こうと思ったキッカケは、このマンガを読んだから

 

著者の佐藤秀峰氏は、マンガの天才だと思う。

代表作で言えば「海猿」「ブラックジャックによろしく」などがありますね。

その中でも「海猿」は本当に傑作だと思います。全てのエピソードが泣ける。何というか基本悲しいんだけど根底にある人の生き様に感動しっぱなしのマンガ

海猿について話すと長くなるのでまた機会があれば。(ちなみに映画とかは見てません。絶対マンガを超えられないと思うから)

 

この「特攻の島」は著者の初めての歴史モノ。

戦争末期、回天という人間魚雷に搭乗することになる若者のお話し。

このマンガのクライマックス近くで主人公が「戦争がなければ、この時代に生まれなければ、男に生まれなければ・・今自分達が死にに行くことは自分ではどうしようもない決められたことです。でも、自分の気持ち、意思はそれら外部環境とは切り離されて自由。自分は誰かの為には死なない、自分は自分の為に生きる(死ぬ)」と言います。 *細かいとこは要約してます

このセリフは、私の心に刺さりました。

確かに、いくら人は自由だと言っても生まれた環境、遺伝子は自分ではどうにもなりません。

親は選べないし、生まれる国も選べない。性別も選べないし、時代も選べない。

私も戦争の時代に生まれていればこんな自由に記事を書けないわけです。

人の人生はかなりの部分外部環境により決まっていることは否定の出来ない事実です。

主人公は、これらの決められたことを全面的に受け入れた上で、誰にも干渉出来ない自分の意思、気持ちというものに正直に生きる=死ぬと決意します。

この考え方、生き方って今の自分にも通じる話しで

ウォーレン・バフェットも言っています。

「もし、自分がアメリカのこの時代に生まれていなければその辺で野タレ死んでいただろう」

バフェットの生まれた時代と場所は証券投資の始まりであり、アメリカという資本主義の中心でもあったこと、そして自分にはその才能があったのでラッキーだったと言っているのです。

 

自由意志の発現

では、人生は決まっているのか?

それも極論であり、決してそんなことは無いと私は思います。

「特攻の島」の主人公もそんな自分の置かれた過酷な環境の中、自由意志を発現し自分の生き方(死に方)を見つけます。

ただただ置かれた環境に絶望し死んでいくこととは天と地ですよね

バフェットも、どんなに恵まれた環境であっても「自分でやろう!」と心から思えなければ成功はしなかったでしょう。環境と才能を生かす意思がなければいけないのです。

勿論、人生の土台として「環境」「因果」はあります。

しかし、人生を創るのは「意思」なのだなというのが現在の自分の結論

 

今の相場環境

現実的な話をすると、今の相場環境も自分ではどうしようもないことです。

政治を批判する。中国に文句を言う、オイルマネーの心配をする、相場に翻弄される、有名投資家が買っていたのに損をした、などなど

環境に文句を言い自分の意思を他人の意見に汚染されてないでしょうか?

よく言われますが

投資をする上で一番大きな敵は自分です。

環境を受け入れて、自分の意思で動くことをしていれば結果は受け入れられるのではないでしょうか?

”環境は受け入れる”その上で自分はどうするか?が自分の人生を生きる上で最も大事なのだと思います。

かなり抽象的な話しでしたが投資にも通じると思いますので、今まで自分はどう考え、動いていたかを考えてみると気づきになるはず!

それでは、また

 

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コメント一覧
  1. こんにちは!

    外部環境を受け入れて自分がどうするかを自分で決めていくというのは、おっしゃるとおりまさに投資に通じますね。
    私自身外部環境に翻弄されまくってうろたえてるので、今日の記事は身にしみました笑

    ただ、蛇足で、定義にもよりますが、アカデミックな場だと、自由意思の存在って結構否定されてるんですよね。
    外部環境に対して自分で考えて行動してると思っていても、実はそう反応することは原子レベルの機械的な関係で事前に決められていたっていう解釈です。

    • お麩パンさん
      こんにちは!

      今の相場状況では、中々落ち着いて投資できませんよね。私も自分の投資基準を淡々と守ることをを肝に銘じています。

      自由意志については私も聞いた事が有ります。
      因果の話しは昔からありますし、その原理主義的な論者は完全に外部環境で運命は決まっているといいますよね
      私は全然詳しいわけではないのですが、量子論では「シュレディンガーの猫」の思考実験のような存在しているのかしていないのか観測するまで確定しない世界みたいですし、その瞬間瞬間で世界は分かれていくパラレルワールドみたいなものも物理の世界では真剣に議論されていると聞きました。カオス理論みたいに予測不可な部分もあるみたいですし、”決定されているのかもしれませんが、無限に分かれた世界”が決定されているのなら実質自由意志の入り込む余地もあるんじゃないかな?という風に考えています。 SFの世界ですね 笑

  2. よくご存じですね!わたしは自然科学的なことはそこまで知りませんでした笑

    わたしが知ってる範囲だと、哲学的には、ランダムであること(いくつかパターンがありうること)は自由意思を肯定することにはならないんですよね。
    たくさんあるなかであるひとつの系列を取りうる確率を、人間の脳が意図して高められることが証明されて、はじめて自由意思の存在が示されるっていう立場です。
    ですが、人間の脳も、ランダムな要素はあれどあくまで自然物なので、意志がランダム性を多少でも操りうるなると、人間の脳には物理法則を超越したなにかしらのモノがあると想定しないといけなくなるんですよね。
    その限りで、自由意思は肯定しにくいという感じです。
    今回の記事でおっしゃっていた自由意思とはたぶん定義は違いますね笑

    コメントのお返事、勉強になりました!
    ツイッターも最近フォローさせていただきましたので、よろしくお願いします(^-^)

    • お麩パンさん、こんばんは

      自由意志の定義の問題ですね。
      確かに「決められた無数の未来」が存在するから無限の自由度があるとは言わないですね。
      「意思の力で自由に選択が出来る」が本物でしょう。
      意思がどこから生まれるのか?そもそも意思って何?など明確にならない限り答えは出ない気がします。
      AIが今後急速に発達し自己学習の末、「意思」を持ちうるのであればある程度答が見えてきますね。
      そうなると人間も高性能な機械に過ぎないという悲しい事実にも直面しますが・・
      更に言うと、この世界自体が何者かの意図で作られた可能性が高くなる気がします。
      小説の「リング」のように

      長くなりすみません 笑

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