人と違うモノが見たかったら「視点」を増やすと良い[読書感想、異端の数0]
スポンサーリンク

以前から私はよく言うのですが、同じモノを見た時に人よりも多くの情報を得たかったら”視点”を増やしましょう

ある事象を見た時に一面からしか見れなければ、周りと同じような感想を持ったりするだけで何にもなりません。

他者との”差”や”価値”を生むのは別の視点です

例えば

ソフトバンクの孫さんはある事象を見ても常人とは違う世界が見えていると思いますが、

それは孫さんだけがアクセスできる裏情報を知っているとかではなく

ただ単純に”見方”が違うのです。

他の人が見てもただ流れていく景色でも孫さんには重要な事象に見えている。

これは、専門をいくら突き詰めても見えてこない世界で、よくビジネスの世界では、同業で集まるより別業種の人間と関わった方が新しいイノベーションに繋がると言われています。

人と違う世界が見たかったら是非「視点」を自分の中にたくさん持つことを意識するといいでしょう。

 

Contents

異端の数0

結構前に読んだ本で

 

こんな本があります。

内容は、「0(ゼロ)」という異端の数を切り口に歴史、科学、哲学、宗教、数学、物理学、と広範な領域を横断して説明していきます。

とても面白くて私は一晩で読んでしまいました。

知的好奇心がもの凄く刺激されますよ!

 

「0」は数学上「0⇆無限大」という表裏一体の関係であり、歴史的に「0」は導入にあたってとても危険な概念でした。

「0」はあらゆる面で通常の数とは違います。0に触れると無になったり無限大になったり・・

使い方によっては、宗教を破壊し、文化も破壊する、そして世界をも破壊する力を秘めている。

という風に「0」は興味深い概念であるということが様々な面から説明されていきます

 

「0ゼロ」からの視点

数学の歴史、物理学の歴史はもちろん、宗教や哲学、文化の歴史にも「0」の概念は影響を与えて来ました。

例えば

「0ゼロ」つまり無限大は、カトリックにとって忌避すべき概念でした。

元々カトリックはアリストテレス哲学を基本にしており、アリストテレスによると世界は「有限」でなければいけない。

有限であるからこそ、その一番外側で大きな力を発揮する存在が「神」であるという世界観でした。

「0」の概念を認めてしまうと、世界は「有限」ではなく「無限」ということになってしまいます。つまり、「有限」で無くなると「神」は死ぬのです。

キリスト教カトリックにとって地球は、宇宙の中心でなければいけませんし「有限」でなければいけない。

(ガリレオやコペルニクスが糾弾されたのは、科学的に間違っているからではなくキリスト教の危機だからです。むしろ、キリスト教のトップ層は当時最高の知識層だったので、地動説自体は既に知っていたと思われます。教団のためなら事実も曲げる!宗教って怖いですねー)

そうしないと、これまで積み上げてきた教義が根本から崩れてキリスト教自体が維持出来なくなってしまう。

そんな恐怖から西欧世界(キリスト教世界)は「0」を無視しました。

また

「0」の概念は数学や物理学においても厄介な存在で、「0」に関わると途端に構築してきた世界が一気に壊れてしまう

数学、物理学上、答えが「0」や「無限大」になるとどこかがオカシイことを意味します。

自然界には確認しえない「0」や「無限大」は大昔想像上のものであり、計算してはいけませんでした。(つまりマイナスの存在もなかった)

しかし、長年の数学界の研究や分析により「0」の存在は実は世界の本質ではないか?とも考えられてきています。

現在のデジタル的な考え方も「0」なくしては存在しませんし、この世界の行く末や物理学の統一理論(一般相対性理論と量子力学の統合)の鍵は「0」が握る可能性が高そうです

 

本の内容の一部抜粋&まとめですが、こんな感じであらゆることが「0」の視点から語られていきます。

このように素人には関係ないと思われる領域が一つの視点から横断的に説明される快感はなかなかありません

「宗教」だけ「文化」だけ「数学」だけ「物理」だけ「哲学」だけを専門的に学ぶよりも全てを「0」の視点から読み解くと非常に面白くて頭に入ってきました。

 

世界をある切り口から横断的に俯瞰する

世界を「ある視点」から横断的に俯瞰するととても面白く、全体像が頭に入りやすいです。

例えば今回のように「0ゼロ」の視点から。

他にも

 

この本のように「銃、病原菌、鉄」の視点から世界を見ることも出来ますし

前回記事にしたように「地政学」の視点からも見ることが出来ます。

 

同じ世界を色んな視点から見ることで、やっと立体的になり全体像の把握が出来てくる

これが冒頭の言葉の意味です。

これらの視点を知らず、何となく世界を見ていても何も見えません。

しかし、色んな視点を持っていればそれぞれの共通点も見えてきますし、目の前で起こっていることの意味も推測できるようになる。

 

主観的な視点

もっと難しい「視点」として、より主観的な視点は得ることが難しいですね

例えば、

男性の場合は「女性」の視点は得ることがとても難しいですよね

日本人が「アメリカ人」の視点を得ることも難しい。

他にもイデオロギーの極端な人たちは理解が難しいでしょう

これら主観的な視点まで見れて、それぞれを行ったり来たりできるようになれば、多分ビジネスも余裕で成功しますし、投資も成功するはず。

孫氏先生の言うように「敵を知り己を知れば百戦危うからず」です

私もこれは全然ダメですね。めっちゃ難しい。

 

まとめ

いつも言っていることなんですが、人間凝り固まると途端に残念な人になります。

そして、何も考えないと大衆からは抜け出せません。

この記事で説明したように、沢山の「視点」を自分の中に取り込みましょう。

そうすれば、他の人に見えないようなモノが見えてくる。

そうなる為の具体的な態度は、これまた何度も言ってますが「柔軟」であれ。です

一つのことを狂信せず、柔軟に色々な視点を取り入れましょう。

視点の違う人の話も100%聞く価値がないか?というとそんなこともなく

正面からちゃんと聞くと1%でも5%でも共感のある部分があります。

 

ついでに言いますと、一つのことを専門を深堀して超1流になることと沢山のことに興味を示し、それぞれで2流以上にすることは

後者の方が人生において効果的です。

あらゆる分野の視点を取り入れ、その共通点を見出し、より広い視野からモノを考えた方が出てくる知恵のレベルが高くなります。

その証拠にアリストテレス、ガリレオ、ダヴィンチなど古代の科学者はあらゆることに手を出してますよね?横断的な視点があったからこそ出てきたアイディアも多いと思います。

 

以上、この記事をきっかけに、あなたにも色んな視点に興味を持ってもらえると幸いです。

何より視点を増やすことは単純に楽しいですよ!おすすめです

 

 

 

スポンサーリンク
おすすめの記事