![「育てない」から上手くいく[親は背中で語る]](http://assetsjin.com/wp-content/uploads/2016/12/New-Plants-Grow-Macro-Wallpaper-Download.jpg)
こんばんは、imoekatです。
今日は、先日読んだこちらの本とは少し違った視点からの教育本をご紹介します
正直なところ個人的には今回の本の方が共感するところが多く、私はこれから子育てをする身分ですが「この通りに出来れば最高だよな」と思いました。
それがこちら↓
Contents
植物を育てるように
色々共感する部分はあったのですが、とりあえず本文をいくつか紹介します。
「親が持っている力は、子どもを押さえ付けるために使うのでなく、守るために使う。親と子どものいい関係はそこからしか始まらないと思います。」
「親が子どもに真剣に叱るべきときがあるとすれば、まさに子どもが卑怯な真似、汚い真似をしたときだと思います」
「地獄への道は善意で敷き詰められている」という諺がありますが、まさにその通りのことが往々にして教育の名のもとに行われているのかもしれません。」
「つまり、当人の性格や特質に合わせ、そのつど応対していくのが、オーダーメイドの教育です。それに対して、世間のいう教育は既製服の教育だと思います。たとえるならば丈の合わないきつい服や反対に大き過ぎる服、また子どものセンスからすれば着たくもない服を無理に着させようとすることに似ています。」
「プロ野球の監督として、華々しい実績をあげている中日ドラゴンズの落合監督は、監督の務めは「指導することでなく、選手を見ることだ。そしていい決断をすることだ」というようなことを言っています」
「大人が子どもにせいぜいできることは、本人が学ぶきっかけとなるいい気づきを与えたり、ひとりひとり違う能力を発揮し伸びていく環境を準備することなんだと思います。」
「一方、オーダーメイドの教育というのは、教える側の本当の力が試されます。子どもの資質や性格を見て、子どもを光らせるものが何かを知らないといけない。ときには職人芸に近いものが必要です。」
「大人は子どもを邪魔しない距離にいて、いざ何かあったらすっと入ってくる。暑苦しい過剰なサービス(教育)をするのでなく、あくまで子どもも気づかないくらいの何気ない気配り、目配りが、子育てする上では必要なのです。」
「ようは放任しない放り方が大事なんです。「放る」というのは、放っても子どもの目に見えない大きな囲みを周りにつくっておいてあげることです。そうすると成長していろいろ悩んだり、辛い思いをしても、「戻れる場所がある」という感覚を持つことができます。」
「親は子どもに生きていくよすがとなる知識や技術を教える以前に、どんな状況でも生きていける智恵や人間力を身につけるよう導くべきだと思います。」
引用 「育てない」から上手くいく
思った以上に多くなりました 笑
要は、「親はそんなに高尚な存在ではない。何かを教えるというのは奢った考えだ。」という自覚から出発し、教育とは「気づかせること」であり、親の役割は環境を整えること、そして、親のダメなとこ完璧ではないとこも飾らずに見せて子供と関わることだと言っていました。
この考え方に私はとても共感します。
そして、今広く行われている教育と比べてとてもハードだなとも思いました。
なぜなら、これこそまさにオーダーメイドの教育であり、そのためにはよく子供を観ていなければいけないですし、親としての生き方も問われます。
「親は何かを教え諭すのではなく、その行動、生き方で子供に気づきを与える存在であるべし」
というのは、だらけた親にとっては厳しい言葉ではないでしょうか?
少なくとも自分にとっては身の引き締まる思いです 笑
確かに考えてみれば、子供は親のことをよく見ているといいますよね?
親のダメな行動や言動も見ています。それを真似て親に「それはダメだ」と教育される・・
これでは子供は認知不協和を起こしてしまいかねない
うーん、やばい・・
セイフティネット
「親は子供にとってのセイフティネットであるべきだ」というのは、私は自分の親から教わりました。
まさに私の「親」がそんな存在だったのです。
基本的にこれまで自由にさせてもらっており、人生の決断をほぼ全て納得の上、自分で決断してきました。
親から何かの考えを押し付けられたり、道を強制されたりもしていません。
中学生くらいの時に私の性格に沿って良いと思われるアドバイスはされた気がしますが、基本的に好きにさせてもらいました。(アドバイス内容は思春期でもあったのでほとんど覚えてないです 笑)
その親の姿勢があったせいか、私は自分の判断には責任があると思っていますし、その反面「まあ何とかなるだろう」という根拠なき楽観でこれまで生きてこれました。
そして、大学卒業後に気づいたのです。
実は私が自由に振舞えて、自分で人生を納得して進められているのは、その裏に「最悪の状態になっても実家がある」という心理的安心感があったからだということに。
そうです、親の存在は最悪な時のセイフティネットであると無意識に思っていました。
そのお陰で私は自由に振る舞えていたのです。
これは、最高の教育であったなと今は思います。
これまで、友人やその他の人と話をしている時、ある判断を下す場面で結構親を気にする人がいました。
「親が言うからこの学校を選んだ」とか、「親の勧めで進路を決めた」とか、「付き合う人に関しても親からの言い分を考慮する人」までいたのです。
親に相談すること自体は良いと思います。しかし、必要以上に親の意思を反映させる必要はないとも思ってます。
これが行き過ぎると子供は自分の人生に責任を持てなくなると思いますし、納得して判断する力が育たないでしょう
一方で、親から信用されていると思えれば、子供は無意識に無茶なことはしないと思います。
事実、私は勝手に元々受験予定だった進路を変えたり、社会人になっても退職は事後報告、結婚も事後報告・・みたいな感じで親に何かを相談なんてしたこともありませんが、反社会的なことには全く関わらなかったですし、自暴自棄にもなりませんでした。
存在で語る
「親は存在感で語るべき」というのも私は、自分の親から学んでいます。
ここまで読むと「うちの親は完璧だ!」と思うかもしれませんが、そんなことはありません 笑
だらしなかったり全然ダメな部分もありますし、ウザいことも多いです。
実際中学生くらいの時に親の言動の矛盾に反発をして大げんかしたこともありますし・・
しかし、根本的なとこで「子供」のことをよく観ていたのだなと思います。
そして、自分は出来ていないのに、口ばかりで子供に指示するようなことも少なかったと思います。
私が、読書好きだったり自立して楽しく仕事をしていきたいと思うのも親の影響が少なからずあります。
うちの父親は公務員でしたが、50歳を超えてから北大の院生になりました。私の同級生と机を並べていたのです 笑
若い頃に家の事情で大学に行けなかったという想いがあったと聞いてましたが、まさか50を超えて院に行くとは思いませんでしたよ
そして、現在、父親は大学で学んだことと公務員時代の知識をいかして会社を経営しています。
税金に関してもめちゃくちゃ詳しくて、数年前から節税対策で私もお世話になるほど。
当然、父親のこんな姿に私は自然と刺激を受けました。
まだまだ学ぶ事は多いですし、好奇心のままに勉強する事はとても楽しい事だという性格になったのも多分、父親の影響が少なからずあるでしょう。
うちの親は「こうすれ」「ああすれ」とは言いいませんでしたが、その生き方で教えてくれていると思います。
植物を育てるように
この本の主張は、植物を育てるように子供と接することに近いと思います。
温度や湿度、その種に最適な環境を整え、適当な時に栄養と水を与え見守る。
道に逸れそうになったら大きな枠の中で修正し、基本的には自由に成長させる
水を与えすぎたり、下手な民間農法(思想)を押し付けても健全には育たない
「よく観て」「適切なタイミングで気づきを与える」
そして、親の生き方を見せることが最終的には一番良い教育なのかなと思いました。
さて、私はこれから子育てをします。
これから色々な障害もあると思いますし、絶対親の思い通りには行かないでしょう。
それは自分を見ればよくわかります 笑
そう考えると自分の出来ることは少ないなーとも思います。
とりあえず、余計なことは考えずに子供のことをよく観て、理解することから始めようかなと
そして、まずは自分がちゃんと生きることですね
子供が大きくなった時に、「親父の背中を見て育った」と思ってもらえれば成功でしょう!