
こんばんは、imoです。
今回は、タイトルに「夫婦仲改善」とか書きましたが、すべての人間関係に通じることを出来る限り簡潔に書いていきます。
「どうして自分は人間関係に悩んでいるのか?」
「どうしてこんなに孤独感を感じているのか?」
「どうして自分の思い通りに人に伝わらないのか?」
等々
昨今、多くの人が人間関係に悩んでおり、上記のようにその理由も分かっていない様子に衝撃を受けて、去年末、個人的に「コミュニケーションの本質」に関するセミナーを行いました。
私の同年代でよく聞くのは家庭内不和や職場の人間関係問題等々、まあよくある話。
さて、ここで「人生の幸せ」について少し考えてみましょう。
「幸せ」の定義はたくさんありますが、根本的には主観的なものであって、決して「お金」などの客観的なモノが「人生の幸せ」を約束するわけではありません。これは、大富豪と呼ばれる人全てが”幸せ”で、その富の量が多いほど幸せ度数が上がるわけではないことからも自明ですね。
実は、多くの人が「幸せ」と感じる主観的要因は”良好な人間関係”なのです。
ということで、「幸せに関して人間関係が重要である」ということは多くの人が同意する筈なのですが、この点の本質についての認識が全く広まっていないのが冒頭の通り大きな問題となります。
「他人は自分の鏡」やら
「ミラーリングテクニック」やら
「”ありがとう”を口癖にしよう」やら
「ラポール、ラポール」やらw
よく聞くコミュニケーションテクニック的なことなんて本質を理解していなければなんの意味もありません。ただただ相手に違和感を与えるだけで続かないですし、効果もない。というか、本質さえ理解していれば自然とそれらテクニックのようなものは実践されます。
なんでもそうですが、大事なことは”本質”であって、表面的なテクニックじゃないのですよ。(投資も同じですね)
そこで、今回は年末に私がやったコミュニケーションセミナーのシンプルなポイントを一つ抽出して”コミュニケーションの本質”について書いてみましょう。
配偶者と一億円どっちを選ぶ?
個人的には結婚という形に関してはどうでも良いという考えなのですが、パートナーとする人との関係は超重要だと考えています。
ここで失敗すると、「人生の幸せ」という基準で言えば確実にマイナス評価になりますし、それをお金に換算すれば余裕で億を超える損失を数えることでしょう。(しかも、結婚という形を取っていれば超長期で影響をこうむる牢獄になります)
そこで現在の貴方に質問。
「あなたは今、目の前の一億円とパートナー(配偶者)との選択を迫られた場合どちらを選びますか?」
私はノータイムで今の配偶者を選びますね。
金銭換算をする話ではない。それくらい希少であると考えています。
で、「何が希少か?」という話
人を機能で見るな!
コミュニケーションは本質的に「自らの孤独を癒す行為」です。
説明すると長いので細かいことは割愛しますが、人は生まれながらに孤独。これは動かしがたい事実です。
つまり、人はその人生を通して孤独を癒すことを求めていて、コミュニケーションはその手段。(コミュニケーション相手は”人”だけではないけどそこも長くなるので割愛)
では、どんな時に人の孤独は癒されるのか?
それは「自分丸ごとを受け入れられたと感じた時」です。言い換えると、その存在全体を肯定された時。
しかし、この世界は”機能”で人を評価してくる。
家庭であれば
「夫としての機能」
「妻としての機能」
「父としての機能」
「母としての機能」
「子供としての機能」
etc…..
たくさんありますね。その時々で細かく切り分けられてあらゆる面から機能を評価される。全体像は考慮されません。
「旦那は金を稼いでくるもの金を稼げない旦那はダメだ。」
「妻は家事をするもの家事をしない妻はダメだ」
みたいなものが典型的ですが、家事を誰がやるとかどうでも良いのです。問題は「家事をする」「金を稼ぐ」という機能のみを抽出して人を評価するところ。「旦那はATM」とかいう話を聞きますが、まさに”機能”のみに特化して評価されています。笑
この世界は、すべての人を”機能”に切り分けて評価しようとしてくる。
この「機能主義」は子供の頃から無意識的に植えつけられる価値観です。
サラリーマンの自殺が多い(孤独が深まると自殺に繋がる)のは、会社で”機能”ばかり評価され、家庭でも”機能”でしか評価されないから。
そして、真に恐ろしいのは相手を”機能”として見る自分もまた、相手から”機能”でしか評価されなくなるというところ
これが「他人は自らの鏡」の本質です。
自分がそう見るから相手からもそう見られる。スタートは自分にあるということ。他人から”機能”で評価されたくなければ、自分も”機能”で評価しないことを心がけることが大事になります。
丸ごと受け入れる意識
マルティン・ブーバーという人がいます。
彼の「我と汝 対話」という著作は人間関係に悩む人には参考になりますのでオススメ。
ざっくり言うと、ブーバーは固定化して人を評価するなと言っていて、常に全人格的に当たるべしと言っています。
これをこの記事の文脈で言うと、「”機能”ではなく”その人そのもの”として評価せよ」となるでしょうか。
丸ごとその人を受け入れるのです。
で、ブーバーは人間は一度相手に対すると無意識的に固定化(つまり機能的に評価)していくので、同じ人に会う時も毎回新しい人と会う意識でその人の全てを見よと言っています。
転じて自分も同じように全人格的に評価されるようになることで孤独は癒えていく。つまり、主観的な充実や幸せに繋がっていく。
良いでしょうか?
ポイントは二つ
1. ”機能”ではなく全人格として評価されることで人の孤独は癒える
2. 評価は相手からではなく、自分からスタートしその結果自分も同様に評価される
相手がわかってくれない!ではなく、自分が相手を分かっていないのです。
相手が感謝してくれない!ではなく、自分が感謝していないのです。
相手が評価してくれない!ではなく、自分が評価していないのです。
赤ちゃんは生まれた時、特に機能を持たず全存在として評価されているはずですよね?
しかし、「勉強」や「運動」「友達の数」など徐々に”機能”による評価が出てくる。子供を孤独に追い込むのもこの”機能”による評価しかされなくなるから。その子の全体像は見えなくなる。周りを取り巻く大人である親も先生もこれまでずっと”機能”でばかり評価されてきたのだから仕方ないですし無意識なので、これは社会の病巣でもありますね。
ブーバーの言う通り、私たちは無意識に”機能”に注目してその評価を固定化してしまう。だから、常に新鮮に相手を見て、全人格として相対することを意識しましょう。
余談ですが、パパ活女子の大半は精神的に不安定になるでしょうね。彼女らは自ら進んで”機能”のみで見られたがっている上に、それを金銭に変えるという泥沼にハマっているように見えますので・・・孤独が深まり自殺しないことを祈ります。
以上、コミュニケーションの本質についてでした。
抽象度と内容的にメルマガ向けかな?と思いましたが、多くの人に読んでもらいたい気持ちもありブログで公開しました。
私の配偶者は、ブーバーなど知らずに、私に対して全人格として対応してくれている感覚がありその結果孤独を癒される感覚がある。
この意味で私の配偶者は希少なのです。