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「いつかきっと自由になれるさ」
この映画の原題は「 Any Day Now」でボブディランの曲”I shall be released”から取ったとのこと。
うん、映画の中身をよく表していて良いタイトルです。
ゲイ、未婚カップル、夜の仕事、知的障害児、養子、と諸々偏見のトリプル役満みたいな内容なんだけど、根底には「愛」があるという多くの人に何かしら響く気がするお話。
色々な視点から批評できる映画だと思うのだけど、この記事では個人的な今の視点から少し書こうと思います。
子供のために動けているのか?
どのような視点から書くのか?というと、「子供の幸せ」という視点です。
自分も親になっているので、昨今の子供の虐待死などには心を痛めるのですが、それらを見るたびに「本当に子供のことを考えて大人たちは対応しているのか?」という疑問が毎回湧く。
もちろん、望まれない子供はいるでしょうし、イカれた虐待癖を持つ大人もいるでしょう。自分が言いたいのは「虐待を無くせ」という夢の話ではなく、「虐待を受けている子供を発見したらその子供の利益のために行動しようよ」という対処の話です。
どうしても大人側の視点でこのような事件は処理されるように思います。
例えば、家庭における子供の虐待死は大人に置き換えて考えると絶対に体力では敵わないプロレスラー相手の監禁、拷問、殺人に相当し、更に精神面で最も頼るべき相手による裏切り、それを利用した精神虐待も加わります。
内容としてはかなり残酷で大人同士の殺人事件と比べても凄惨さが際立ちますが、現実には子殺しは大した罪にはなりません。「しつけのつもりだった」「死ぬとは思わなかった」「つい、やりすぎた」言い訳はいくらでもできるし、密室で行われるので立証も困難。
子供の視点から見ればこれ以上の絶望はないでしょう。逃げ場がないし、逃げる発想も出ない。
子供は親のモノなのか?
この映画でも、ヤク中の母親に放置されたダウン症の子供が出てきます。
子供にとっては当然劣悪な環境。
しかし、実母というのは法の世界では最強なのです。カードゲームのジョーカーみたいな存在。「それを出されちゃおしまいよ」というカード
どんな母親でも親権を主張すれば基本的に子供を自由にできる。(この点、父親は比較的弱い。母親が最強)
確かに、一般論では実母が最も子供を大事にしますし愛情もあるでしょう。最も子供にとって望ましい環境を提供してくれるであろう存在です。
しかし、本当にそうか?
さっき書いた通り、私は「虐待を無くせ」という夢の話はしていません。むしろ「虐待はある」「それをなくすのも無理」という立場。
だったら、「母親の下が子供にとって無条件で良い!」という考えも崩れます。
子供にとっての死活問題を大人が考える一般論から判断されて地獄へ送られる。その結果が、世の中の虐待死の大半なのではないか?
もっと子供の視点から考えることをすべきでは?
嫌がっている、怖がっているのに、「子供は結局親のところが良い」という一般論から親の下へ帰される。親の所有物のような扱い。
個人的には、子供は親とは別個の社会的存在だと考えています。
自分の子供も今預かっているだけで将来社会へ返す存在であって、そこで生きていくために今サポートする感じで考えている。
- 自分のモノ!
- 自分の夢の実現を!
みたいな、過剰な期待や自分のコンプレックスの裏返しの押し付けからくるしつけや教育もある意味虐待では?とすら思うくらい
もっと、子供を独立した存在、社会全体で育てる存在という感じで考える方が良いと思います。
この映画でも大人たちは子供の視点は全く考慮しようとしません。
大人の偏見やメンツ、意味不明の一般論からの母親カードでTHE END
「何が子供にとって幸せなのか?」をちゃんと考えられる世の中になれば多少は子供の犠牲は減る気がします。
子供はもっとも有益な投資対象なのですよ。
その損失は社会にとって想像以上の損失なることをもっと考えるべき。もう伸びしろもないロクデモナイ親(大人)の権利やメンツを保護することとどちらを重視すべきかは自明だと思うんですがね
まとめ
以上、映画チョコレートドーナツはオススメです。
プライムビデオからも有料(400円くらい)だけど見れます。
偏見との戦いや、人間愛など人によって色々な評価が出来る映画でしょう。
私にはここまで書いたように「子供の幸せ」ということについて考えさせられました。
(ダウン症のマルコの笑顔は素晴らしかった)
ゲイカップルも養子も、LGBT運動が盛んな現代ならもっと受け入れられる可能性は高いです。
まさに「 Any Day Now」は今なのかもしれませんね