
こんばんは、imoekatです。
2016年の誓いを1つ
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「今年より年間収益の1%を利他の為に使うことを誓います。」
自己中心的になりがち
投資をするというと、基本的に「儲けたい!」という気持ち→自分の為です。
これは正常なことですね。
聖人ぶって世の中の為とか言う人って胡散臭いですし、根本的に、遊んで暮らしたい→お金が欲しい→投資で儲けよう!
という思考の流れが「投資」を始める動機でしょう。
しかし、投資だけでなくどの分野でも言えることですが一方へ偏るとバランスがよくありません。
ここは理屈では説明しづらい部分で感覚に近い実感なのですが、自分のことばかり考えると視野も狭くなり周りが見えなくなります。
結果、より大きな利益を逃す場面も出てくるのです。
投資以外でも仕事に偏ると私生活、家庭が乱れ本当に大事なものを失うことがあるでしょう?
何でもバランスが大事なのです。
自分の周囲から広げる感覚
投資をする上で、利回りは最重要と言っても良いくらい意識する部分です。
その利回りを削ってまで、なぜ「利他」へ向けたお金を使うのか?
私の答えは、「自分は一人で生きていないから」です。
投資で利益を挙げ、生活に困らなくなったとしても自分一人で悠々自適な暮らしをして楽しいのでしょうか?
私は、これを考えた時「価値感の近い人達と一緒に楽しく過ごしたい」と思いました。
自分一人でお金を持ったり時間の余裕が出来ても、共に楽しむ人達が居なければ楽しさ半減です。
複数の価値感の近い人達となら更に有意義な時間を過ごすことが出来るではないでしょうか?
こう考えた時に、利他へのお金の使い方も私にとってある意味投資なのです。(利回りを正確に測れませんが、お金に代えられない価値を得られるでしょう)
格好良く「全ての恵まれない人へ寄付」します!でもいいんですが、自分から離れた存在への「寄付」ってイマイチ実感が湧かないんですよね
ですので、私は「自分に関係する人へ使う」ことから始めます。その先で自分の価値感に近い寄付組織、イベントなどへ「寄付」しようと思います。
世界の全ては救えない
よくある議論ですが、例えば、アイスバケツチャレンジでしたっけ?「ある難病の人への寄付」と「他の難病への寄付」に対して対等ではない!という主張をする人がいます。
全て対等に扱え!自己満足の偽善者だ!という主張ですね。
しかし、世界の全ては救えないのです。人間は自分の周囲からしか実感を得られません。
前述の主張をする人は、理論的に全ては救えないので行動しないという結論になります。(個別対応は全て偽善)
だったら、自分に近いとこから行動するだけでいいんじゃない?と所詮人間である限り偽善なんだし。
親、祖母、兄弟、友達
自分に近いところと言えば、まず「親」ですね。
私で言えば「祖母」も第一に挙がります。
まずここへ「親孝行」「おばあちゃん孝行」をしようかなと
先日、祖母へちょっと良いひざ掛けをプレゼントしました。そうしたら、思った以上に喜んでくれ、私もとても嬉しくなりました。
周囲の人は貴方が思っている以上に貴方のことを愛している半面、感謝の気持ちを表現されることに慣れていないのです。
これは、とても良い発見でした。いつまで生きるか分からない祖母や親へ今のうちに感謝の気持ちを伝えることはとても有意義です。
その次に、大事な友達などへ予想外のプレゼントやイベントを開いたりすることを考えています。
このように自分の周囲から少しづつお金を使う範囲を広げていければ、実感も伴うし私もより満足度の高い人生を送れるのではないか?と考えています。
新たなモチベーション
資産形成を自分だけの問題と考えていてはモチベーションも下がる時があります。
でも、今後周囲へお金を使い金銭以外の「配当」を受け取れることを考えれば、更なるモチベーションに繋がります。
もっと利益を挙げて、お金を使ってやろう!と
そして、自分の届かないところへの寄付も一部していきたいですね。どこへするかは今後調べていきたいと思います。
今年から「金銭」以外の配当を意識することにより、よりバランスの良い資産形成、精神に繋がると考えています。
以上、それでは今年も宜しくお願いいたします。